#04 「24羽の黒つぐみ」 —ソースのおかわりは!? あぁ、いいです。あとで…。 名探偵ポワロ

Four and Twenty Blackbirds (22 January 1989)
Hercule Poirot: DAVID SUCHET
Captain Hastings: HUGH FRASER
Chief Inspector Japp: PHILIP JACKSON
Miss Lemon: PAULINE MORAN

ヘイスティングスもミス・レモンも、丸くて大きくてアールデコ調のかっこいいラジオに夢中でした。ラジオは当時最先端の情報メディアだったし、上質な木材を贅沢に使ったこのしつらえです。とっても高価だったでしょうね。ミス・レモンが「ラッフルズの推理」を聴いてたのを知ったポワロさんが不機嫌になった理由は、目の前に本物の名探偵がいるにもかかわらずフィクションの探偵ものを楽しんでいることに対する嫉妬じゃなくて、高級なラジオを彼女が勝手に自分の部屋に持っていったことに対するいら立ちだったのかもしれません。

ラジオのほかにも、芸人やダンサーたちが行き来する劇場の舞台裏、タイル張りで清潔な科学捜査局、治療設備が整った歯科医の診察室などなど、1930年代当時の最先端を垣間みれるモダンな雰囲気のエピソードです。
 

 

このページは名探偵ポワロ「24羽の黒つぐみ」を観た方に向けて書かれていて、事件の核心、犯人、動機、結末、オチ、ギャグなどに触れます。ですのでドラマ本編をご覧になったあとにお読みください。
このブログがはじめての方は 「ポワロと灰色の脳細胞」について からぜひ。 

あらすじや解説はこちらでどうぞ。
●名探偵ポワロ徹底解説
●「名探偵ポワロ」データベース
●旅行鞄にクリスティ


エビデンスに基づく科学的な思考

ポワロさんは心理学的アプローチで推論して犯行の動機を決め打ちしたり、容疑者がうっかり犯行をポロリしちゃう罠を張ったりして事件を解決することが多いですが、今回はひと味違いました。“オフィスで使っているタイプライターで打った文字のサンプルと、封筒の宛名の文字を突き合わせる”という、極めて科学的な証拠が決定打になっています。これは大変な革新です(ついでに劇場の舞台に科学捜査局の技術者を連れてきたり、犯人にピンスポットを当てたりする、謎解きシーンのドラマチックなやりすぎ感も革新的)。ポワロさんは灰色の脳細胞が展開する論理だけに固執しないで、物質的で実体的な側面にも価値を見いだす柔軟性が必要だとお感じになったんでしょう。その証拠に、ちょっと前に歯科医を受診することについて「完璧な私の歯をいじるのは冒涜だ!」なんてずいぶん過激なお考えを披露なさってましたが、今回は素直に治療を受けておいででした。柔軟性を獲得したことによって、虫歯は概念で克服しようとするよりも実際に削り取る方が合理的だと気づかれたようです。両手をグーにして必死に耐えるポワロさん!がんば!


Lapin à la liégeoise avec du sirop de Liège

ポワロさんのお母様直伝、ネズの実で香り付けしたという“うさぎの煮込み—リエージュ風”。うさぎ肉もネズの実も食べたことないから味の想像がまったくできません( 巴里のキオスクから というブログでこの料理が解説されています。レシピは marmiton[フランス語] でどうぞ)。美食家のポワロさんが腕を振るった一皿、きっとめちゃめちゃ美味しいんだろうなあ。でも“ポワロをもっと褒めなさい”っていうあの無言の圧力はキツすぎやしませんか。もはや脅迫。あんなに詰められたら恐怖のあまり感性がディプレッションされて、味なんてわかんなくなっちゃうよね。あの状況でヘラヘラしていられるヘイスティングスって実は偉大なのかも。


ポワロさんが自宅でディナーを振る舞うときってだいたいなにか理由があった気がするけど、今回はそういう描写がありませんでした。歯が痛くて自分は食べられないのにわざわざヘイスティングスのためにだけに料理をするくらいだから、きっと特別な日だったんでしょうね。


本日のおしゃれ

ファリントン画廊から人物画クラスを経てロリマーの劇場までの間、ポワロさんがお召しになってたスタイルが抜群におしゃれでしたね。黒いジャケットにグレーのストライプズボン。ボウタイとベストは光沢のあるゴールドでそろえて、ブローチのお花には補色の紫をカマす。帽子はいつもかぶってるグレーのホンブルグではなく黒の山高帽。革手袋も黒でした。 2ピースにしろ3ピースにしろ、スーツを着ればどんな人でもそれなりにまとまって見えます。でもジャケット、ズボン、ベストの色や質感を全部違えてまとめるのはすごく難しい。ポワロさんは黒を基調に落ち着いた気品を漂わせながらも、芸術の場を巡るのに相応しい華やなコーディネイトをいとも簡単にやってのけました。いやあ、かっこいい!この人おしゃれの天才だ。


補色をテーマにしていた人がもう1人いました。緑のドレスに赤い帽子、ストール、手袋という奇怪な組み合わせに挑んだ、モデルのマドモアゼル・ダルシーです。ありゃひどかったなー。はっきりしたお顔立ちや濃いめのメイクと相まって妖怪みたいなおぞましさ。サンタクロースを手伝う妖精の成れの果て、みたいな。せっかくの美人が台無しでした。もしかしたら緑と赤の面積の比率が近すぎたのがよくなかったのかもしれません。ドレスの緑を軸にするなら、赤はイヤリングだけにするとか、ちいさいワンポイントでよかったんじゃないかと思います。

そして注目したいベストドレッサーがもう1人。遊園地に面した家の2階で死にゆく老人、アントニー・ガスコイン氏です。ガリガリにやせて顔色真っ青、生きてるかどうかも怪しいアントニー氏が身につけていたのは、襟と袖がフリフリのネグリジェみたいな寝間着でした。あれをチョイスしたのは看護婦兼話し相手のヒル夫人だよね。すごいセンスだ。ファンタジックな遊園地の雰囲気と純白のフリフリ寝間着が織りなすイノセント感がハンパない。死んだら確実に天国にいけるんじゃないかな?


見失ってるぞロリマー、目を覚ませロリマー

画家のヘンリー・ガスコイン氏になりすましてアリバイ工作をしようというアイディアはとてもユニークです。殺人があったという事実を人に悟られにくいだろうし、変装するのは骨格の似た叔父だからわりと簡単で、しかも彼は人づきあいが嫌いな変わり者だったんでなおさら好都合。成功を期待できる優れた計画だったと思います。ただし、変装した姿をポワロさんに見られてさえいなければ、ね。「年齢というのは仕立てのいい洋服のようにぴったりその人の身についてるでしょ? でもレストランで見た老人は不自然でした」とはポワロさんの弁。ほかの人たちは騙せてもポワロさんの目を欺くことはできませんでした。犯行を暴かれて絞首台に送られることになったのは、あの場に偶然ポワロさんがいたからです。運がないとしかいいようがありません。

と、ロリマーの最終的な犯行計画に限っていえばまずまず評価できるんですが、もっと前提の部分に大問題がありました。なぜ彼がヘンリー氏を殺そうと思ったのか、そもそもの動機が僕にはサッパリわからないんです。いや、遺産が欲しくてやったのはわかるんだけどさ…。彼はもとからヘンリー氏の遺産を相続する立場でした。それにヘンリー氏がマドモアゼル・ダルシーやエージェントのメイキンソン氏といった、親しい友人に遺産を分与する旨の遺言を書くような気配もありませんでした。わざわざ殺さなきゃいけない理由が見つからないんです。体が頑丈だったとはいえ、5年か10年かすれば勝手に死んでくれるんだから、それまで気長に待てばよかったのに。 彼が支配人を務める劇場はお客がたくさん入ってて評判もよさそうでした。きっと稼ぎも悪くはなかったはず。金に困ってそうな様子は描かれてなかったけど、なにか差し迫った事情があったのかなあ。それでも殺すのはリスキーすぎるでしょ。バレたら元も子もないんだし。で、実際バレちゃってるし。どうしてもすぐに金を工面しなきゃならなくても、まずはヘンリー氏に相談してみるとかさ、やりようはいくらでもあっただろうに。彼は“どうやって殺人を隠そうか”という、問題の根元からズレた表層の部分にばっかり心を奪われちゃって、“確実に遺産を手に入れる”っていう大前提の目的を見失っていたように思えてなりません。

僕がロリマーだったら、遺産相続をより確実なものにするためにときどきヘンリー氏の家を訪ねます。「近くを通ったからついでに顔見にきたよ」くらいの感じ。で、暇そうにしてたら話し相手になるとか、なにか雑用を頼まれたら手伝うとか、熱心に絵を描いてるようだったらすぐに帰るとか、ごく普通に接します。順当にいけば相続できるんだから、特段世話を焼いてやったり、媚を売ったりする必要はありません。付かず離れず、現状維持でいいんです。そうしていればヘンリー氏の健康状態がわかって今後の展望を見据えやすくなります。そしてきっとマドモアゼル・ダルシーやメイキンソン氏の関係性もわかってくるはず。実際には2人とも、作品を贈られるくらいにヘンリー氏と親しい間柄でしたが、いずれも自分の生き方にプライドがありヘンリー氏に敬意を払っていて、遺産をもらおうなんて考えるようなタイプではありませんでした。それがわかれば「もしかしたらアイツらに遺産を奪われるかも」なんていう余計な心配はしなくてよくなります。

もし僕が積極的にアプローチするとしても、油絵の大作を描きたいと思わせるようにヘンリー氏をおだてるくらいかな。ヘンリー氏が死ねば作品も相続できるので、生きてるうちに1枚でも多く描いてもらいたいからね。それ以上の出過ぎた真似は絶対にしません。くどいようですが、順当にいけばそっくり遺産を相続できたんです。殺すなんてもってのほか。別にロリマーに倫理や人の道を説こうというつもりはありませんよ。殺人犯がいないと「名探偵ポワロ」は面白くないですからね。ただ、なにもしなければもらえたはずの莫大な遺産をふいにして、首を吊られるのが残念なだけです。「あーあ、なにやってんだよー、もったいねーなー」って。ロリマーは良い犯人じゃありません。


本日の報酬

殺人事件を解決したのでスコットランド・ヤードから幾ばくかはもらえるだろうけど、直接の依頼主はいないので利益はほとんどないでしょう。 ただ「職業的好奇心から興味をそそられ」て首を突っ込んだのは、ほかならぬポワロさんです。誰にも文句はいえませんね。

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