#09 「クラブのキング」—ヒッチコックを殺れ! 名探偵ポワロ

The King of Clubs (12 March 1989)
Hercule Poirot: DAVID SUCHET
Captain Hastings: HUGH FRASER
Chief Inspector Japp: PHILIP JACKSON

まさに映画の黄金期という風情の撮影スタジオ。全景をクレーンカメラで見渡すリッチなカットにしびれます。スタジオのセットとか劇場の舞台袖とか楽屋とか、エンタテインメントの裏側が垣間見える場面があるとうれしくなっちゃうんですよね。映画界のお話だから美男美女たちの艶やかな殺人劇になると思いきや、性暴力や強請で人を支配する強者とそれに抗えない弱者という、現実に起きている悲劇を反映した、ビターな後味のエピソードでした。30年たったいまも放送当時と状況が変わっていないことを思うと、苦味は一層強くなります。

そして実在の映画人をモデルにしたキャラクターが登場するのも今作の大きな特徴です。その人選は作品のテーマと強く結びついていますが、そのお話はまたあとで…。


このページは名探偵ポワロ「クラブのキング」を観た方に向けて書かれていて、事件の核心、犯人、動機、結末、オチ、ギャグなどに触れます。ですのでドラマ本編をご覧になったあとにお読みください。「海上の悲劇」にもちょっと触れています。
このブログがはじめての方は 「ポワロと灰色の脳細胞」について からぜひ。 

あらすじや解説はこちらでどうぞ。
●名探偵ポワロ徹底解説
●「名探偵ポワロ」データベース
●旅行鞄にクリスティ


ジャップ警部の専用車:1937年型 Humber Snipe

ジャップ警部の車がはじめて登場しました。おなじみ IMCDB によるとハンバー・スナイプだそうです。黒塗りでしっとりとしたボディライン、Snipe=キジを模したエンブレム、逆ヒンジドアが特徴の、落ち着いた上質感が漂うサルーンです。ヘイスティングスの美麗なラゴンダとは正反対に、実用的でいかにも公用車然とした佇まいがかっこいい。警察車両でいえば「なぞの盗難事件」で活躍した1937フォードよりも断然貫禄があります。あれは一介の巡査が乗るパトカーなので、幹部の専用車と比べるのはちょっと酷ですが。当然ショーファードリブンで、主任警部殿が自分で運転するなんてことはありえません。運転担当の部下はスコットランド・ヤードのシンボル、カストディアンヘルメットではなくて官帽を被るのが決まりみたい。

実直で敏腕で、じつは優しいジャップ警部にすごく似合ってて、これ以上の車はないんじゃないかと思うくらい。「名探偵ポワロ」の車両担当スタッフはどんなキャラクターでも必ずその人にぴったりの車を選んで持ってきます。本当にセンスいい。



Mon Désir

パレード・スタジオの社長リードバンが住むモン・デジール荘。直線的でモダンなインターナショナル・スタイルの外観で、雨の降りしきる夜にぼんやり浮かび上がる姿が幻想的でした。撮影に使われたのは、イングリッシュ・ヘリテッジ(英国の歴史的建造物保護機関)にGrade IIと指定されているハイ&オーバー荘という建物だそうです。chimni wiki に詳しい解説が書かれてるので、ご興味ある方はぜひどうぞ。YouTube には1931年新築当時のハイ&オーバー荘を紹介するパテニュース(ニュース映画の制作会社)の映像もありますよ。 

劇中のモン・デジール荘は内装や調度品がヤバかったですね。噴水、鏡のドア、金の彫刻、ゴテゴテ装飾のソファー、ピンクの照明…なんだか高度成長期のソープランドみたいでした。東映のヤクザ映画で松方弘樹やら梅宮辰夫やら千葉真一やらが、汗と脂でテッカテカな昭和的男の色気を大放出するような空間。欲にまみれたハゲのおじさんと執事のおじさんの2人であのお屋敷に住んでたと思うと、なかなかエグいですな。 

本日のおしゃれ

真夜中にポールと電話でおしゃべりする、パジャマ姿のポワロさん。両手を胸の真ん中にそろえて掛け布団の端を摘む、ポワロさん独特の眠り方も映ってましたね。なんなんでしょうか、あのかわいさは。


バレリー・サンクレアはパレード・スタジオの看板女優なのに、華やかな衣装を身につけてる場面が少なくて残念でした。キラキラのゴージャスなドレスとか見たかったな。真っ白な毛皮のロングコートが大雨でずぶ濡れになってて、後々の手入れが心配になりました。パレード・スタジオでいうと、大御所俳優ウォルトンを取り押さえてたガードマンの制服がお城の近衛兵みたいな装飾でかっこよかったです。酒酔い運転で事故ったウォルトンはエピローグで腕を吊ったまま撮影に臨んでましたね。

ヒッチコックとグレース・ケリー

ドラマ制作陣が目指したのは、性暴力への抗議をエンタテインメントとして表現することです(セクハラって書くと軽くなっちゃう気がするので、あえて漢字で重くいきます)。実在の人物をモデルにしたキャラクターにメタファーを織り込んで、観客の共感や笑いを誘い、センシティブなテーマを扱いながらも楽しさと切実さが共存する物語に仕立てました。作中のリードバンは映画界の巨匠アルフレッド・ヒッチコックに、バレリーは名女優グレース・ケリーになぞらえています。

英国出身でサスペンスの神と称される映画監督ヒッチコックは、立場を利用して女性に性的関係を強要することでも知られていました。被害を受けた当事者自身による告白こそ近年までありませんでしたが、その噂は古くからささやかれていてその筋の人たちの間では有名だったようです。彼らが性暴力と聞いて真っ先に連想するのはヒッチコックだったでしょう。リードバンの体型とハゲ頭はヒッチコックとそっくりです。

モナコ公妃になる前には女優として活躍していたグレース・ケリーは、ヒッチコックからの信頼が厚く寵愛を受けた1人です。彼女自身がヒッチコックの被害者だったという話は聞いたことがありませんが(被害があったのかなかったのか、ここで詮索はしたくありません)、欧州のプリンスと結婚した人気女優といえばグレース・ケリー以外には思いつきません。バレリーがブロンドのクールビューティとして描かれているのはグレース・ケリーを参照したからです。

原作になかった要素を足して、原作とは違うテーマを語ったことに対しては色々な意見がありそうですが、僕は大歓迎です。ヒッチコックの犠牲になった女性たちには抗う術がなにもなく、1人で抱え込んで苦しんだはずです。一方でヒッチコックは自分の犯した罪を罰せられることなくこの世を去り、彼女たちが実際にやり返すチャンスは失われてしまいました。この作品は、ヒッチコック映画の看板女優といえるグレース・ケリー(=バレリー)に、ヒッチコック(=リードバン)を殺させることで、彼女たちの無念を晴らそうとしています。タランティーノの映画「イングロリアス・バスターズ」と同じように、フィクションの力でリベンジを果たしているのです。そして、実際にヒッチコックから被害を受けた女性だけじゃなく、過去に似た経験をした人や、いままさに同じ境遇にいる人にもカタルシスを与えて励ましています。この作品はクリスティ原作ミステリーの笠を着た“性暴力に対する報復”といえると思います。

※性暴力について補足
語感から、暴力を振るったり力ずくで行われる性交渉(レイプ)だけを性暴力と捉える人もいると思いますが、それは正確ではありません。“望まない性的関係”すべてを性暴力と呼びます。どんなに優しく舐めても、どんなにゆっくり挿入しても、相手が関係を持つこと自体を望んでいなければそれは性暴力です。ポイントは力加減じゃなくて本質的な合意があるかないかです。また性暴力と聞いて、鞭でぶったりぶたれたり、ひもで縛ったり縛られたりをイメージする人もいると思いますが、明確な合意があればそれはプレイです。存分に楽しんでください。  

余談。バレリーの婚約者ポールは原語だとPrince Paul of Mauraniaと表記されてます。日本語では“モラニア国王子”って訳されてました。でもバレリーのモデルがグレース・ケリーなので、ポールのモデルはグレース・ケリーの夫レーニエ3世のはずです。レーニエ3世は英語でPrince Rainier III of Monacoと表記されますが、モナコ国王子じゃなくてモナコ公なんです。Princeには“王子”(王の息子)という意味のほかに“公”(公国の君主)って意味もあるんですよね。モデルに則した設定なら、ポールは“モラニア国王子”じゃなくて“モラニア公”なんじゃないかと思うんだけど、どうでしょう。あ、でももしポールが国家の君主だったら自分の国を放ったらかして英国で映画に出資なんてしてる場合じゃないか。王子だからこそフラフラ遊んでられるのかな?うーん、わからん…。ついでにいうと、ポールは“殿下”って呼ばれてましたが、王子にしても公にしても敬称は“殿下”で正解みたいです

ポワロの信念?

ポワロさんはことの顛末を知っても、罪を糾弾することなく自ら口を閉ざしました。 「海上の悲劇」のときは「殺人は許せませんからね」なんて息巻いてましたけど、どうしちゃったんでしょう。今回のは殺人じゃなくて事故だからお咎めなし、って考えるのはさすがに無理がある気がします。そもそもバレリーと弟ロニーに殺意があったのかどうか、殺人の計画をたてていたのかどうか、明らかにされませんでした。ポワロさんには追及する気がないんです。今回の件では殺人か過失致死か事故死か、ということは大きな問題じゃありません。バレリーとロニーがリードバンに立ち向かったことこそが重要でした。

 ポワロさんは殺人が許せないのと同じように、性暴力が許せなかったのかもしれませんね。性暴力に晒されている人がその苦痛から解放されるために抗うことを認めたいんじゃないかな。バレリーがリードバンに脅され搾取され、人生を弄ばれていたことを思うと胸が締めつけられます。オグランダー家の人たちも抵抗できず、強請りに怯え続けていたはずです。ポワロさんが彼らの苦痛に寄り添ったとしてもまったく不思議じゃありません。だからまっとうな生活を取り戻すための行動に、あえて目をつぶったように見えました。

依頼人がポールだったことも、ポワロさんの決断を後押ししたかもしれません。ポールからの電話でポワロさんは「あなたの名誉を守るため力の及ぶ限りのことを」と約束しました。いつも依頼人の利益を優先させるわけじゃないだろうけど、旧知の友の力になりたいという気持ちもあった、って思います。しかもポワロさんは上流階級に憧れてて、貴族や王室が大好きで、けっこうミーハーです。ポールに昔のことを感謝されたときもめっちゃうれしそうでした。ポールを助けてまた感謝されたい、上流階級や華やかな世界の人たちに認められたいっていうチャラい気持ちもあったんじゃない?って邪推しちゃいます。もしポールが街角の煙草屋のしがない親父で、バレリーが牛肉解体工場で働く体格のいいおばさんだったとしても、同じようにしたの?って。

ポワロさんはしかめっ面で仰々しく正義や罪について語ることが多いし、よく「ポワロは完璧です」みたいに吹かしてるから、確固たる理想を持った人のように思ってしまいがちですが、案外おっちょこちょいだしその場の感情に流されやすい面もあって、わりと揺らぎやすい人だと思います。今回の判断をみて、ポワロの信念はどこにいったんだ!殺人を許すのか!みたいな批判をぶつけるのはちょっとかわいそうです。ポワロさんってこういういい加減なトコあるよねー、でも優しいよねー、くらいが丁度いい気がします。 

ラストカット

事件は無事に迷宮入りし、パレード・スタジオに穏やかな空気が流れます。大きなゲートが開いてポワロさんとヘイスティングスが帰ろうとしたとき、2人は左右に別れて歩きだしました。ポワロさんが間違って出口と反対に向かってしまったんです。そのときの2人の声は聞こえませんでしたが、ヘイスティングスが「出口はこっちですよポワロさん」と優しくたしなめた風でした。

このラストカット、とっても象徴的でした。ヘイスティングスはただ方向音痴のポワロさんに出口を教えただけじゃなさそうです。性暴力の被害者は復讐を許されるべきか、という極めて難しい問題と向き合ったポワロさん。彼なりの結論は出ましたが、果たしてそれが本当に正しいのかという迷いが心の隅にあることは簡単に想像できます。ヘイスティングスがそんな気持ちをどこまで察してたかはわかりませんが、探偵として歩む道を誤りそうになってるポワロさんを引き戻して、進むべき方向に導いたように見えてならないんです。ヘイスティングスはいつも飲み込みが悪くてトンチンカンなことばっかりいってますが、あるとき突然誰も気づかなかったことを指摘したり、ことの本質を突いて問題を解決したりする瞬間があります。このときもそんな力が発揮された気がします。そう思って2人が並んで歩くこの後ろ姿を見ると、とても尊く感じます。ポワロさんにはヘイスティングスが必要です。


本日の報酬

依頼人がポールなので適正な報酬を受けられるのは確実です。ポワロさんはちゃんと稼げてないことが多い気がして毎回チェックしてますが、心配するほど取りそびれてはいないみたいですね。

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